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劣等感に悩み続けた私が、「字」を軸に自分だけのスキルを手に入れた話。 #わたしのスキル解放記

自分が当たり前のようにやってきたことが、別の誰かから見ると大きな価値になることがあります。

「#わたしのスキル解放記」では、自身の持つスキルに気づき、それをバネに人生の次のステージへとジャンプした人々の物語を紹介していきます。

今回お話を伺ったのは、「字を書くこと」を仕事にしたみくふでさん。キャリアのスタート地点となった総合商社では、周りと自分のスキルの差を見て劣等感を抱いていましたが、恩師からの「あなたにしかできないことを伸ばせばいい」という言葉を機に硬筆を学び直し、「字を書く」という特技を磨いていきます。

子どもの頃から「書くこと」一本でやってきた人も多い世界で、みくふでさんはどのように周りと差別化を図り、仕事を獲得していったのか。お話を伺いました。

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みくふでさんは現在、フリーランスで「字を書く」仕事をしています。

「『字を書く』と言っても、いろいろなご依頼があるんですよ。よくいただくのは、結婚式の招待状の宛名書き、それからラブレターやファンレターの代筆。ラブレターはクリスマスやバレンタインの時期になるとご依頼が増えますね。ほかにも、受験願書の代筆や謝罪文の代筆、企業の営業DMを書くお仕事などもあります」

子どもの頃に硬筆を習ってはいたものの、高校生からはソフトボール、大学生ではスキー……とスポーツ一筋。そんなみくふでさんは、どのように「字」を仕事にするに至ったのでしょうか。

できる人に囲まれて劣等感を抱いていた商社時代。変化のきっかけは、恩師の“ある言葉”

学生時代、「将来は好きなことを仕事にしたい」と夢見ていたみくふでさん。当時スポーツ全般が好きだったため、就職活動はスポーツ関連の会社を中心に採用試験を受けていました。しかし、結果は全滅。

「新卒ではスポーツとまったく関係のない総合商社に入社しました。入社を決めたのは、面接を受けていて『素敵な社員さんが多いな』と思ったから。学生の私の話を否定せず、『いいね!』と面白がって聞いてくれる人ばかりでした」

「スポーツ関連の仕事をする」という夢は叶わなかったものの、尊敬できる先輩たちに囲まれた職場環境には満足していました。しかし、次第にみくふでさんは自身の「スキル」に劣等感を抱くようになります。

「とにかく『できる人』が多かったんです。特に英語が堪能な人、数字に強い人が多かった。一方私は、英語も数字も苦手で。なんとか周りに追いつきたくて勉強を頑張った時期もあったのですが、もともとできる人たちには敵いません。あの頃は、周りと比較しては落ち込んでばかりいましたね」

そんなみくふでさんにヒントを与えたのは、小さい頃から習っていた「硬筆」の恩師でした。

「幼稚園から中学校3年生くらいまで、鉛筆やペンで字を書く硬筆を習っていたんです。高校生以降は勉強や部活で忙しくなって離れていましたが、恩師とは交流を続けていました。
その恩師にポロッと悩みを打ち明けたところ、『誰かのマネをするんじゃなくて、あなたにしかできないことを見つけて、それを伸ばすのがいいんじゃないか』とアドバイスをいただいて。その言葉にハッとしたんですよね」

自分だからできることって、なんだろう。そう考えたとき頭に浮かんだのが「字を書くこと」でした。会社の先輩たちは、自分にはない英語や簿記のスキルを使って活躍しています。でも、そんな尊敬する人たちから「みくふでさんの字は綺麗だから」と、封筒や目録の代筆をよく頼まれていました。

「私にしかできないことって、これかもしれない」

そう思ったみくふでさんは、硬筆を学び直すことに決めました。身近に「できる人」がいるフィールドで勝負するのではなく、自分だけが持っているスキルの種を磨いていくことにしたのです。

「せっかくやるならスキルを目に見える形にしたいと思い、ただ習うだけではなく、人に教えることのできる『師範』の資格をとることにしたんです。会社員をしながら教室に通って、さらに資格取得のための練習もしなければいけなかったので当時はめちゃくちゃ大変でしたね。週に2回は教室に行って、それとは別に家でも朝4時に起きて字を書いていました」

「一度やり始めたらやり切らないと気が済まない」性格が、目標への歩みを支えました。そんな生活を続けて5年、ついにみくふでさんは師範の資格を手にします。

そうしてスキルを得たことで、会社の「できる人」と自分を比較して落ち込むことは減っていきました。さらに「きれいな字が書ける人」という評価は、また別のドアを開くことになります。

「字がきれい」という特技が評判になり、知人から結婚式の招待状の宛名書きを頼まれるようになったのです。これがみくふでさんにとって、字を書くことで対価を得る初めての経験となりました。

コロナ禍で本業の仕事が減ったとき、支えになったのは「副業」だった

「字を書く」という小さな副業の始まり。そしてその裏でみくふでさんは、長年勤めた総合商社を退職し、東京オリンピック組織委員会へ転職するという大きな決断をしていました。

「やっぱり、学生時代の『好きなことを仕事にしたい』という夢が諦めきれなくて。そんなときに東京でオリンピックが開催されることになったから、もう動かずにはいられなかったんですよね。

周りからは『どうして安定した総合商社を辞めるの?』と聞かれました。組織委員会は、オリンピックが終わったら解散することが決まっている、期間限定の雇用です。だから私のことを心配して言ってくれているのは分かるんです。

でも、後悔するかどうかなんて飛び込んでみないと分からない。それよりも、目の前にチャンスがあるのにやらない方が後悔する、と思ったんです」

そうしてみくふでさんは、長年の夢だった大好きなスポーツの仕事に携わることに。しかし、新型コロナウイルスの影響で、先行きは一気に不透明になってしまいます。

「オリンピックの準備をしている中で、新型コロナウイルスが流行して。運営の仕事が大幅に減って、そもそも祭典を開催できるかどうか分からない時期も長かったんです」

そんな不安定なときに支えになったのが、「字を書く仕事」でした。
オリンピックの仕事に就く前に始めた副業が、このタイミングで徐々に伸びていったのです。

「宛名書きの副業を始めたとき、『宛名書きサービスを提供している人ってどこで仕事を受注するんだろう』と気になって調べていくうちにココナラを見つけました。ココナラとInstagramを窓口に本格的に『字を書く』仕事を受けるようになり、それが2020年頃から徐々に軌道に乗りだしたんです」

人と直接会う機会が減ったことで手紙の需要が増え、それに伴い代筆の依頼が増えていきました。卒業する学校の先生への感謝の手紙、長らく会っていない肉親への手紙、習い事の先生への手紙、卒業文集の代筆——。「どれも忘れられませんね」とみくふでさん。

オリンピックの仕事が停滞する中で、みくふでさんはコツコツと副業を続け、実績を増やしていきました。世の中の変化が、図らずも「字を書く仕事」の追い風になったのです。

お尻を叩いてくれる存在がいたから、悩みながらも前に進めた

「書く仕事」が軌道に乗ってきたものの、みくふでさんは長らく自分のスキルに自信を持てなかったといいます。

「書道家さんとか、字を書くことを仕事にされている方って、それ一本で生きてきた方が多いんですよ。幼い頃から教室に通って、大学でもその道の専門を学んで。一方で私は、字を書くことを辞めていた期間もあるし、大学などで専門的に学んだこともない。長年本気でやってきた人たちに比べると、私の書く字って全然ダメだなって落ち込むことの方が多かったです」

書けば書くほど、周りと比較して落ち込む機会も増えていく。「本当にこれが私にしかできないことなのだろうか」と、何度も迷いました。それでも彼女が前に進み続けられた理由のひとつに「パートナーである夫の応援」がありました。

「私が落ち込んでいると『一般人の俺からするとめちゃくちゃ上手いんだから自信持って』といつも励ましてくれて。あと、とにかくお尻を叩いてくるタイプ。資格を取ったら『ちゃんと仕事にしなきゃね』とか、仕事をするなら『同業者と差別化するにはどうしたらいいか考えなきゃね』とか、どんどん先に進ませようとする。立ち止まっているスキを与えないんですよ(笑)でもそのおかげで、悩みながらも先に進めたんじゃないかなと思います」

ココナラやInstagramで順調に仕事を受注していった背景にも、夫の後押しが。

「(彼が)調子に乗るから本当はあんまり言いたくないんですけど……」と照れくさそうにしつつ、みくふでさんを支えたアドバイスのことを話してくれました。

「SNSで発信したりWebのプラットフォームをうまく使ったり、私の年代(30代)だからこそできるやり方でサービスをアピールしていったほうがいい、と。私は子ども向けの書道教室をやってみたいなーなんて思っていたんですけど、『それはもっと年を重ねてからでもできるから、今しかできないやり方のほうがいい』と言われて」

「SNSをもっと活用すべき」というアドバイスを受けて毎日1作品をSNSにアップし始め、同年代の人へのタッチポイントを作ったみくふでさん。その取り組みが功を奏し、20〜30代の女性から結婚式の招待状の宛名書きを依頼されるようになるなど、成果が出始めます。さらにSNS経由で得た仕事の実績をココナラでも紹介し、それがまた新しい仕事につながる……という好循環が生まれていきました。

「それを夫に話したら『ほら、俺の言ったとおりでしょ』と自慢げで。なんか悔しくて素直に『ありがとう』と言えない自分がいるんです(笑)。でも、いつも私の背中を押してくれるのには感謝しています」

2021年夏、1年遅れで東京オリンピックが開催され、その終了をもってみくふでさんの雇用期間も満期を迎えます。その頃には、もはや「字を書く仕事」を本業と呼べるほどに実績が積み上がっていました。

スキルや経験をかけあわせて、「自分にしかできないこと」を突き詰めていく

普段使っている練習用ノート

現在みくふでさんは、生まれたばかりの第一子を育てながら、フリーランスで字を書く仕事を続けています。

初めは個人の宛名書き、手紙の代筆などが仕事の中心でしたが、今では企業からの仕事も多く抱える日々。商用チラシや営業DM、取引先に送るお歳暮・お中元に添える手紙の代筆依頼、手書き風フォントの作成など、一言で「書く」と言っても、仕事内容は多岐に渡ります。

「最近のご依頼で面白かったのは、カレー屋さんの“のれん“に載せる字を書くもの!私が書いた『カレー』という文字をのれんに印刷して、飾っていただいているんです」


自身が書いたのれんの文字の前で(写真:みくふでさん提供)

幅広い仕事の依頼が来る理由は、「字がきれい」だけではありません。Instagramを活用したPR、そして商社時代に培った丁寧で迅速なコミュニケーションスキル。複数のスキル・経験を掛け合わせた結果が、みくふでさんだけの強みになっているのです。

「特に、問い合わせへのお返事は迅速に対応するようにしています。すぐにお答えできないときでも、『◯時以降にお返事いたします』と連絡しますね。

依頼って、何か困っていることがある人がするはずなんです。そして問い合わせするときって緊張しますよね。その不安や緊張感を少しでも和らげていただきたいんです」

ただ仕事をこなすだけでなく、あたたかみのあるコミュニケーションで安心感を出す。これは、総合商社時代に秘書として働く中でさまざまな立場の人とやりとりした経験から意識するようになったそうです。

商社時代、そして字を書くことを仕事にしたばかりの頃、みくふでさんの心に常にあったのは「劣等感」でした。しかし今、自分が活躍できるフィールドや強みを認識したみくふでさんは、「たくさん書いて、たくさんの人に『いいね』と言ってもらえて、ようやく自分の字に自信が持てるようになったと思います」と笑顔で語ります。

どこまでも上を見て比較するのではなく、自分が持っているものを磨き、自身のキャラクターや経験と掛け合わせることで「自分だけのスキル」を育てていく。そうすれば、活躍できるフィールドは自然と拓けていくのかもしれません。

取材・文:仲奈々
撮影:飯本貴子