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「相手の期待値の3倍を返し続けたい」 レジェンドレーサーが切り拓く新しいキャリア #わたしのスキル解放記

自分が当たり前のようにやってきたことが、別の誰かから見ると大きな価値になることがあります。

「#わたしのスキル解放記」では、自身の持つスキルに気づき、それをバネに人生の次のステージへとジャンプした人々の物語を紹介していきます。

今回お話を伺ったのは、プロレーサーの山野哲也さん。学生時代、彗星のごとくモータースポーツ界に現れ、数々のタイトルを獲得。30代での引退が多いプロレーサーの世界で、57歳になる今も活躍し続けています。

精神的にも肉体的にもハードなモータースポーツ界で、山野さんが見出したキャリアの歩み方とは?そして、彼がココナラで提供する“スキル”とは——。

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鈴鹿でのレースに出場後、その足でインタビューを受けに来てくれた山野さん。「レーシングスーツで写真撮りますか?」とその場で着替えてくれるなど、疲れを感じさせないサービス精神のおかげで現場は一気に和やかに。

山野さんが「ココナラ」をどんなふうに活用しているのか……の前に、まずは映画のようなレーサー人生を振り返っていただきました。

毎日3時間、車庫入れに明け暮れた高校時代。

「物心ついたときには、車が好きでした。乗用車はもちろん、タクシーやバスも大好き。幼稚園の頃は、毎日通学バスの助手席のすぐ後ろに座って、運転手さんが操作する様子を飽きずに見ていましたね」

小さい頃から大の車好きだった山野さん。小学校、中学校と進学してもその情熱は冷めず、家族の都合で高校生のときに移住したロサンゼルスでは、父親の車を借りて毎日のように“ある練習”をしていたといいます。

「LAでは16歳で自動車免許が取れます。だから僕も16歳になるやいなや免許を取得し、それからは毎日のように父親の車でひたすら車庫入れを練習していました。1日3時間くらい(笑)。それも、ただの車庫入れじゃなくて。新聞紙が一枚しか入らないような、ミリ単位の隙間を残してギリギリに駐車することにハマっていたんですよ」

やればやるほど、まるで自分の手足のように車を動かせるようになる。その感覚に病みつきになり、17歳で念願のマイカーを手に入れてからも、ひたすら運転の練習をする日々。夢や目標があるわけではない。ただ、車を運転するのがとにかく楽しい。

その純粋な衝動は、本人も気づかぬうちにある変化の芽をもたらしていました。

初出場で優勝。『あいつは誰だ!?』と会場をざわつかせる

山野さんの転機は、南カリフォルニア大学から上智大学に編入して初めて参加した『安全運転技術コンテスト』という大会でした。「水入りのバケツを車に乗せてこぼさないようにゴールまで早く行けた人が勝ち」など、いかに安全運転できるかを競うものです。

「自分の技量でスピードを競う競技は難しいかもしれないけど、安全運転のコンテストなら参加できそう」と気軽な気持ちで出場したところ、大学の自動車部員ばかりの中で、なんと初参加にして優勝を果たします。

「僕以上に周囲が驚いていましたね。自動車部員ばかりの中、当時の僕はバレーボール部に在籍していましたから。『あいつは誰だ!?』って会場がザワザワしたのを今でも覚えています(笑)」

優勝をきっかけに大学の自動車部からスカウトを受け、山野さんはアマチュア選手としての第一歩を踏み出します。しかしこの時は「プロレーサー」の道はまったく考えていなかったと振り返ります。

「自動車メーカーのテストドライバーになりたいと思っていましたが、いざ就活をしてみても、文系学生の僕がテストドライバーとして活躍できそうな会社はまったくなくて。それでも車には関わっていたかったから、新卒で本田技研工業株式会社に入社し営業や企画部門で働く傍ら、休日にモータースポーツを楽しんでいました」

33歳でデビューした異色のプロレーサー

レースは“趣味”でいいと思っていたはずの山野さん。しかし25歳のとき、趣味で続けていたモータースポーツの競技「ジムカーナ(※)」で全日本チャンピオンを獲得したことで、一気に「プロ」への階段を駆け上がっていくことになります。

※レース用の車ではなく、乗用車で参加可能なモータースポーツ。乗用車で参加できることからプロだけでなくアマチュアからの人気も高い

「ジムカーナで日本一になったあと、お世話になっていたカーショップの社長が『君ならレースの世界でも通用する、君の走りを見てみたい』とレーシングカーをプレゼントしてくださったんです。突然『遠い世界の話』だと思っていたレーシングカーで速さを競う大会への出場チャンスが訪れました。そうして出場してみたら、まさかの優勝を飾ることができて」

山野さんがプロ転向を考え始めたのは、一般的には引退を意識し始めると言われる30歳をすぎてから。さらに、プロの世界には幼いころからサーキットに通い詰め「その道一筋」のキャリアを歩む人が多い中、長年オフィスワーカーとして働いてきた山野さんはまさに異色の存在でした。

「いろんなことが規格外な僕に対する風当たりは強かったし、不安がなかったかと言われたら嘘になります。それでも、『もっと上手くなりたい』『技術を極めたい』という欲望に歯止めが効かなくなっていました。そして33歳で会社を辞め、プロ選出のオーディションを受けて合格しました」

そうしてスタートしたプロレーサーとしてのキャリア。プロ転向後も、山野さんはまるで映画の主人公のように華々しい実績を積み重ねていきます。

「FIA公認レースのSUPER GTでは3年連続シリーズチャンピオンを獲得、そして全日本ジムカーナ選手権では20回以上シリーズチャンピオンを獲得しました。全日本戦をはじめとしたビッグレースでの優勝回数は140回を超えています。日本国内ではダントツの記録なんだそうですよ」

レクチャーなら、運転できなくなっても一生続けられる

遅咲きながら、レーサーとして快進撃を続けて来ている山野さん。しかしプロレーサーとしての“走る”仕事は、肉体的にも精神的にも大きな負荷が掛かります。

ケガや病気も含め、もしレースに出られなくなっても何らかの形で車に関わるためにはどうすればいいか。キャリアの序盤からそう考えていた山野さんは、「レーシングドライバーとして培ったノウハウをいかに一般の方々に広めることができるか」という熱い思いでジャーナリストやコースデザイナーなどにも活動の幅を広げていきます。

そのなかで、マシンのセッティングや運転方法の説明が高く評価されていたことから、「コーチング」「インストラクター」といった仕事が増えていきました。

「実績が増えるにつれ、サーキットドライバー向けのインストラクターを任される機会が増えていきました。そうすると、多くの方から『山野さんのレクチャーはわかりやすい』とお声をいただくようになって。その時に、レクチャーなら僕自身が運転できなくなっても続けられる、一生大好きな車に関わっていけると思ったんですよね」

サーキット場でレッスンを受けるのは、ハードルが高いと感じる人も多いかもしれない。より手軽にレッスンを受講できる環境を整えるため、山野さんは2019年末からオンラインレクチャーの準備を始め、2020年5月に「ココナラ」でサービスをオープンさせました。奇しくも、世の中は新型コロナウイルスの流行によりオンライン需要が急増していた時でした。

「たまたまですが、時代にマッチしたサービスになりました。外での練習は頻繁にできなくなってしまったけど、オンラインでも学べることはあります。実際、僕のレッスンを受けてから急速にタイムを伸ばし、レースで優勝した方もいるんですよ」

「あの山野哲也だから」に甘んじない


ココナラで山野さんのレッスンを購入するのは、アマチュアレーサーがメイン。運転中の様子を撮影してもらい、その動画をもとにタイムを縮めるためのレクチャーを行います。

「リピーターがとても多く、30回以上購入してくださった方もいるんですよ」と山野さん。「サーキットで練習を重ねて上手くなるのが当たり前のモータースポーツを、オンラインで習うとはどういうこと?」と半信半疑でレッスンを受けた人たちが次々とタイムを短縮し、「もっと上手くなりたい」とレッスンを重ねていくのだそう。

「僕のレッスンを受けた人たちが、地方レースの年間シリーズランキングでトップ3を独占したこともあるんですよ。その時は流石に驚きました(笑)。モータースポーツ好きの間でこのレッスンが話題になってるようで、紹介で来る方もすごく多いんです」

山野さんのレッスンを受けた人のコメントには、スキルに関する評価の他にも「丁寧なコミュニケーションで安心して受講できた」「返事が迅速で助かった」という声が多く見られます。

「あの山野哲也に教えてもらえるから」も購入の動機にはなりますが、満足してもらえなければ次には繋がらない——。それを知る山野さんは、提供するレッスンに決して妥協はしません。

「いただいたお金の3倍くらいの価値を持ち帰っていただきたい、と思ってやっています。実際にタイムが縮まるという成果はもちろんですが、『運転評価シート』のように、しっかり手元に残る納品物を用意しているのもそのためです。期待通りでは、次にはつながらない。期待以上を返さないと」

レーサーの世界でもインストラクターの世界でも、第一線で活躍できている理由とは。その答えを、山野さんは穏やかな面持ちでこう語ります。

「仕事を続けていくためには、どの場所でも成果を残すことが必要だと思うんです。レースのチームであれば『あの人がいたからうちのチームは強くなれた』とか。それを実直に続けていけば、ずっと同じフィールドで活躍することは可能だと思います。失敗と成功を繰り返しながら、その豊富な経験から成果が生まれる。結果を残すまで諦めずに継続することが大事なんです」

山野さんの言葉から感じられるのは、厳しい世界を生き抜いてきた人の矜持。「『自分が活躍し続けたい』ではなく、『お客さまやチームメイトに満足してもらいたい』と思ってやっています」という言葉の通り、どんな仕事においても、根底にある「“期待値以上”を返し続けたい」という姿勢は共通するものです。

それはモータースポーツの世界だけでなく、「長く価値を提供したい、人に喜んでほしい」と考えるすべての人に必要なスタンスなのかもしれません。

取材・文:仲奈々
写真:飯本貴子


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