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「もっと広い世界を見たい」パワポスキルで叶えたニュージーランド移住 #わたしのスキル解放記

自分が当たり前のようにやってきたことが、別の誰かから見ると大きな価値になることがあります。

「#わたしのスキル解放記」では、自身の持つスキルに気づき、それをバネに人生の次のステージへとジャンプした人々の物語を紹介していきます。

今回お話を聞いたのは、パワーポイントを使ったデザインのスキルを磨き、夢に見た海外移住を叶えたデザイナーの冨士綾香さん。一会社員としてスタートしたキャリアは、どのような道すじをたどって今につながったのでしょうか。

プロフィール

冨士綾香(PHAINO DESIGN)

プレゼンテーション/ラーニングデザイナー。旅行会社、デザイン会社を経て2020年よりフリーランスのデザイナーとして活動。2021年よりニュージーランド在住。

まったくの未経験からデザインの世界へ

「新卒で旅行会社に入社して、ウェブチームに配属されました。美大やデザインの専門学校を出たわけではなくまったくの未経験で、『デザイン』というものに触れたのはそのときが初めてだったんですよね」

現在ニュージーランドで暮らす、デザイナーの冨士綾香さん。
彼女のキャリアは旅行会社から始まりました。

主な仕事は、自社のウェブサイトの管理やバナーの制作、ページ制作など。新しいことに挑戦するのが好きな性格であることに加え、大好きな場所である沖縄エリアの担当になったこともあり、デザインの仕事にのめり込むのに時間はかからなかったといいます。

「私、昔から沖縄が好きなんです。そうしたらたまたまウェブ制作の仕事で沖縄エリアの担当になって。お金をいただきながら自分の好きな場所の情報を得られて、しかも作ったサイトを多くの人に見てもらえる。すごく楽しい仕事でしたね」

とはいえ、未経験からのスタートにはもちろん苦労も伴いました。ウェブデザインの仕事は、デザインの他にコーディングの知識も必要です。思い描いたデザインの通りにアウトプットすることがなかなかできず、もどかしさを感じることも多かったそう。ウェブサイトや書籍で勉強しながらなんとか食らいついていく状態が続きましたが、その苦労を上回る充実感がデザインの仕事にはありました。

「自分や相手の頭の中にあるものをクリアにし、それを目に見える、伝わる形にするというのにすごくやりがいを感じ、デザインの仕事に向いているかもと思いました」

またその職場では、今の冨士さんにつながるもう一つの気づきがありました。

それは、世の中には会社員以外の働き方があるということ。

知識として知ってはいたものの、自らがフリーランスのカメラマンやライターに仕事を発注することで「個人事業主になって会社から仕事を受ける」という働き方に対する理解度が深まったといいます。

デザインの仕事と、会社員以外の働き方。そのふたつが交差したとき、冨士さんの頭にひとつの理想像が浮かびました。

「デザインのスキルを磨いて、場所や時間を問わずにどこでも働けるようになりたい。いつかは海外に移住したい。そう思うようになりました。もともと旅行が好きでしたし、学生の頃から『世界にはたくさん国があるんだから、日本にとどまっていたらもったいない』と思っていました。生活や文化の違いを見てみたいという好奇心が強かったんです」

あるツイートを見て、「私にもできるかもしれない」と思った

ここまでの話から伝わってくるのは、柔軟で軽やかな考え方を持つ冨士さんのキャラクター。そのイメージ通り、冨士さんはすぐに「どこでも働けるようにデザインのスキルをもっと磨く」ための行動を起こします。

「デザインの経験を積むために、eラーニングを専門としたデザイン制作の会社に転職しました。媒体やツールを限定せずいろんなデザインに携わったんですけど、一番多かったのがパワポを使ったデザイン。そのときに『パワポっていろんなことができるんだな』と知りました」

“パワポ”ことパワーポイントといえば、おそらくパソコンを使った仕事をする人なら一度は触れたことがあるメジャーなツールです。デザイナーが使用するツールとして一般的なのはフォトショップやイラストレーターですが、パワポも実は同じくらい自由度の高いデザインが可能だそう。そのおもしろさに、冨士さんはそのとき気づいたといいます。

さらに、デザイン会社で働いておよそ1年が経った頃。Twitterで偶然目にしたある一言が、冨士さんの人生を大きく動かすことになりました。
それは「パワーポイントでYouTubeのサムネイル画像を作って月100万円を稼いだ」というツイートでした。

「たまたま見かけたツイートだったんですけど……私もパワーポイントのデザインをすることが多かったので、それを見て、今のスキルでお金を稼げるかもしれないと思ったんです。今自分がやってるデザインをブラッシュアップしたら十分スキルになり得るんじゃないかと」

今やっていることが、夢に近づく一歩になるかもしれない。
そう確信した冨士さんは、副業に関する情報収集を始め「ココナラ」にたどりつきます。自身と同じようなデザイナーの出品者を見て「これなら私にもできるかも」と登録。地道に競合調査をしつつ、自分の強みを分析していきました。

「ほかの出品者さんのこともリサーチして、求められるレベルを理解し、ある程度自信がついてから出品しました。トップの画像の色味が他の人とかぶらないようにしたり、自分の強みを限られた文字数で伝えられるように気を配ったり……ユーザーページに載せる文章やデザインにはかなりこだわりました」

https://coconala.com/users/1237706

その甲斐あって、出品してわずか1週間で初めての受注。自分の好きなデザインの仕事で、会社ではなく個人の力でお金をもらうことで、大きな達成感とうれしさを感じたといいます。

「副業」から「複業」へ、そして夢の海外移住へ

「『ココナラ』の仕事では、働けば働いた分だけ売り上げが入ることに会社の仕事とは違う達成感を感じました。会社の場合、どんなに働いても月給は固定なので」

パワポのスキルを磨くことが、自由な働き方への一歩になるかもしれない。
その見立て通り、プレゼン資料のデザインやピッチ資料作成の仕事は需要が高く、依頼の数は右肩上がりに増えていきました。
自分のスキルが直接評価され、数字になって返ってくることは、それまでの仕事では得られなかった高揚感を冨士さんにもたらしました。

「お客さんと直接話せるのもやりがいにつながりました。会社の仕事は代理店の方などエンドユーザーとの間に入る人とのコミュニケーションが多かったのですが、『ココナラ』は納品したあとで納品物の成果やお礼の言葉を直接伝えていただけます。お客さんと一緒に作ったものが実績として世に出て、その成果が目に見える形で返ってくると嬉しいですよね」

「コミュニケーション」は、冨士さんの強みを語る上で重要なキーワードです。これまでの発注者からは、丁寧なコミュニケーションを評価されることが多いと冨士さんは語ります。

「依頼前の段階で、作業のスケジュールを明確にして共有すること。お客さまがやること、自分がやることの分担をはっきりさせること。それらを心がけ、安心して仕事を任せてもらえるよう、コミュニケーションには手を抜きません」

安定したデザインのクオリティと気配りが行き届いたコミュニケーションは、着実に評価につながっていきました。そして、ココナラで出品を初めてから約8カ月。ついに月の売り上げが会社の給与を超えることになります。

「そのあたりがブレイクスルーというか、そこからすごく変わってきたなと思います。最初は『副業』という意識だったのが、会社の月収を超えてからは『複業』、つまり会社のほかにもう一つある活躍の場という意識に変わってきました。売れれば売れるほど評価レビューがついて、そのレビューを見たお客さんが依頼してくれるという好循環になりました」

やがてついに、海外移住が叶うときがやってきました。

2020年にスタートしたココナラの仕事は、2021年には売り上げが毎月会社の給与を超えるほどに安定した依頼を受けるように。「会社を辞めてもやっていける」そう確信を持った冨士さんは、ニュージーランド移住のためのビザを申し込みます。

「実はニュージーランドにパートナーがいて。ずっと遠距離恋愛をしていて、一緒に住むのは長い間望んでいたことでした。現地就職をするには言語の壁があるので、それを超えられるくらいのスキルや実績は持っていきたくて……。海外で絶対に自立したいという気持ちがあったから頑張れたんだと思います」

実は会社員時代からニュージーランド人のパートナーと遠距離恋愛を続けていたという冨士さん。一緒に暮らしたいという強い意志が、自立への大きなエネルギーとなっていたのです。

「コロナ禍で申請が厳しく、ビザが下りるまで約1年もかかったので、ビザを手にしたときは『ようやく一歩踏み出せる!』という気持ちでした。同時に、海外移住を本気で考えてからフリーランスとしてやっていけるようになるまではあっという間だったので、自分が本当に海外移住をするのかと信じられない気持ちも強かったです」

そして2021年6月、パートナーの住むニュージーランドへ。
勤めていた会社を退職し、フリーランスとしての一歩も踏み出しました。

環境が変わるごとに今まで見えなかったものが見える

ニュージーランドでの生活が始まって、ちょうど1年。現在もココナラでの受注を中心に、資料やフライヤーの制作、最近ではアニメーションの制作なども行っています。

日本とはまったく環境が違うニュージーランドでの暮らし。そこでの生活について、どんなふうに感じているのでしょうか。

「みんないい意味で適当なんですよね。お店は16時くらいに閉まるし、お正月はどこも開いていないし、仕事と家族の時間とがはっきり分かれている。自分のライフスタイルを大事にできる国だなと思います」

会社員の仕事からフリーランスの仕事へ。日本からニュージーランドへ。「環境が変わるごとに今まで見えなかったものが見える」と冨士さんは言います。

「デザインへの考え方にも変化がありました。今住んでいるハミルトンという街は高いビルが全然ない田舎で、空が本当に広くて青い。そんな環境で暮らしていると、ごちゃごちゃした華美な装飾をつけるより、本来自然がもつ素材を生かしたデザインが一番美しいんじゃないかって思うようになりました。今までは日本の基準で良いデザインだと思うものを作っていたんですけど、それが“正解”ではないなと今は思います」

自由にどこでも働けるようになりたい。旅行会社にいた頃に芽生えた野望は、今まさに実を結んだところです。そんな大きな夢を叶えた今、どのような気持ちでいるのでしょうか。

「夢を叶えた、というのはたしかにその通りなんですけど、ニュージーランドに来てから、これは単なるスタートだなと思うようになりました。今は日本の会社との取引だけなので、いずれ現地の会社に就職してみたいとも思いますし、世界中いろんな国の会社とお仕事もしてみたい。パワーポイント以外にもアニメーションのスキルを磨いて、デザインの幅も広げていきたいです」

淡々とした、それでいて意思のある面持ちで、冨士さんは語ります。

「もっと自由に働いてみたい」「日本を離れてみたい」という思いがふと頭をよぎっても、多くの人はそれを現実感のない戯言として仕舞い込んでしまいます。でも、それって本当に「手の届かない夢」なのでしょうか。

自分が持っているものを少しずつでも積み重ねていけば、いつかは望んだ場所にたどり着ける——。冨士さんは自身の経験から、そのことを私たちに教えてくれます。

ひとつ夢の扉を開いた先はゴールではなく、また次へのスタート地点。一歩ずつ着実に進み、いくつもの扉を開いてきた彼女の行く先には、まだ見ぬたくさんの扉が続いています。